面白い離婚

面白い離婚なんてないと思いますが、ただ楽しく読んでもらえたらいいなと思います。

有名なシェフのレッスン

彼は料理人でした。

無職ですが料理人です。

いつかお店を出したい料理人です。


いつかお店を出したい彼の夢を、私は応援していました。

何か情報になりそうなものがあったら、すぐ彼に伝えていました。


ある時、近くで世界的に有名なシェフのレッスンが開催されることを知りました。

とあるイベントにそのシェフがやってきて、数時間ですが一般の参加者を対象にレッスンをしてくれるのです。

地方都市では、こんな機会はめったにありません。

そのイベントは車ですぐの場所で開催されます。

料理に携わる人なら、誰もが名前を知っているであろう有名なシェフです。

そのレッスンは当然抽選となります。


私は往復はがきを何枚も買ってきて、応募しました。

私が行くためではありません。

もちろん彼に行ってもらうためです。

一般の人向けのレッスンですが、彼はいま無職。

一応プロですが、休職中ということで許してもらえるでしょう。

なにより、そんなすごいシェフのお仕事をきっと間近で見たいはず。

しかも仕事をしていたら、そんなイベントに参加する時間は取れなかったでしょう。

幸いにも(?)今は無職。

時間は自由です。

どうか当選しますように。

願いを込めてはがきを送りました。


彼にその話をしました。

目を輝かせて『行きたい!!』と言うだろうと、わくわくしながら話しました。

が、

ふーん

とか

ああ

とか

気の無い返事ばかり。

聞いてないのか、当選してもいないのに興奮することはないと思っているのか…。


とにかく、結果を待つことにしました。



そして、しばらく経ったある日。

はがきが届きました!!

たくさん送りましたが、彼の名前で出したはがきが見事当選!!

一枚だけ、そのレッスンのチケットを手に入れることができました。


今度こそ、大喜びするに違いない!


そして、やや興奮気味に彼に当選を伝えました。

帰ってきた言葉は


『行かね』



ん??

行かない。


当選したのに?


どうしてと聞いても、答えは帰ってきません。

挙げ句の果てには、『お前行け』


彼なりのプライドとか意地とか、あったんでしょうね…。

もちろんそれがわからないわけではありません。

でも、仮にもお店を出したくてお仕事をしていないのだから、こういう機会はチャンスだと捉えるものじゃないのかな…。

私の発想がおかしいのかな。


結局、どうしても行かないというので、主催会社に当選辞退の連絡をしました。

電話に出た女性は『ええっ?!辞退?都合が悪くなりましたか?残念ですねぇ…もう少し待ってもいいんですよ?すごくもったいないですよ〜!』と熱心に言ってくださり、こちらが申し訳なくなるほどでした。


先回りしすぎて、失敗するタイプの私?

でもどうして彼は行かなかったのか、行きたくなかったのか。

いまだにわからないし、もう知るすべはありません。



東京に雪が降ると思い出すこと。

関東はすさまじい大雪だそうですね。

交通が麻痺したり、滑って転んで怪我をされる方があったり、普段通りにはいかないのが大雪の日ですね。


私の住んでいる地域はもっとずっと西の方なので、今回の大雪はテレビで観ているだけです。大きな被害が出ませんようにお祈り申し上げます。


東京に雪が降ると思い出すことがあります。

まだ、彼と暮らしていた時のことです。

その年のお正月、彼は無職でした。

いつか(予定はない)お店を出すために、内装やメニューを考えるため、ネットサーフィンが忙しい日々です。合間にカレーを作ったり、洗濯物をたたんでくれたりはします。


そんな一月。

彼は突然『東京に行く』といいだします。

ネットサーフィン中に見つけたいい感じのお店が、研修に来る人を募集している。そのお店の店長さんが、研修者の開店までアドバイス、フォローをしてくれるのだと。




ツッコミどころ満載です。




今にも申し込みの電話をかけそうな勢いの彼を必死で押しとどめ、わたしはない頭をフル回転です。

これはどうしたらいいのか。

そもそもその研修&コンサル契約は、50万近くします。

彼は無職です。

お店を出す計画はありません。

東京への往復旅費は夜行バスを使って約2万円、宿泊はカプセルホテルを使って1日約5千円。滞在中の食費もいります。研修は1週間。

お金のことを考えただけでクラクラします。

もうわたしではどうしようもない。

勢いづいている彼を止められない。

人の力を借りることにしました。


彼には実際にお店を経営している兄がいます。

お義兄さんなら、止めてくれるかもしれない。そんな期待を抱いて、『お義兄さんに相談に行こう!』とわたしは言いました。

彼は研修に行く気満々なので、わたしの思惑とは裏腹に、お義兄さんに決意表明に行く感じでした。


そして、忙しいお義兄さんにアポイントを取って相談に行くと…


『やっとやる気になったのか〜(喜)』


優しいお義兄さんは、彼がやる気をなくして無職になっていると思っていたようです。

わたしの目論見は見事に外れました。

そして、状況を察知したわたしはなぜかこう言いました。


『まず二人で東京のお店を見に行きたいと思います』

結局わたしの外面の良さに自分自身が喰われるという、今思い出してもどうかしている発言です。


そしてわたしは12時間の夜行バスに乗って東京に行く羽目になったのです。その話はまた後日。


東京でそのお店に伺い、店長のお話を聞いて、わたしは彼の研修を了承しました。

もちろん、きちんとしたお店で、コンサル業も本気でされている方でした。



そして寒い寒い2月。

彼はひとりで東京での研修に向かいました。

1週間の修行です。

わたしは胃腸を壊し、その前後全く食事が取れず、汚い話ですが真っ白な便が毎日出ていました(汗


その時、東京に大寒波が訪れ、軽装で東京に向かった彼は地元でも遭遇したことのないような雪に見舞われたのでした。


長くなりましたが、『東京で大雪』のニュースを聞くだけで、このことを思い出すのです。

ちなみに、研修費用の三分の一は出店時にコンサルに来てくださる際の費用とのことでした。

出店しなかったんだから、返してもらえるんじゃないかと思うのですが、さすがに言い出せないのです。


非課税の人。

収入がない人は住民税が非課税です。
子供や高齢の方、いろいろな事情があって働けない人など、住民税が非課税の方がいらっしゃいます。
そういった収入のない方に、臨時福祉給付金がもらえるときがあります。

元旦那の無職生活が続いている中、この臨時福祉給付金が出たことがありました。
助かります。とても助かりますが、正直ショックでした。
健康な30代男性、何も問題なく働ける状態なのに住民税が非課税。
給付金の手続きをするべきなのか悩みました。
しかも、手続きをするのはなぜか私。
当の本人は「お金がもらえる!」と喜んでいます。

こういうことには疎い彼でした。

車のローンで、残価設定型ローンというのがあります。
全体の金額の半分をローンにして、払い終わった時点で残り半分を支払うか、新たにローンを組んで別の車に乗り換えるか、というあれです。

半額を払い終えた時点で、
「新しい車にする!」
「このシステムならずっと新しい車に乗れる!」

‥ええまあ物理的にそうです。
が、ローンはずっと終わらない。

収入があって、レンタカー感覚でちょこちょこ車を買い替えたい人には良いのかもしれません。
彼は何度説得しても納得せず、私がうるさいから残金を払ってこの車に乗り続ける、という体になりました。

今は彼は自由。
きっと仕事も続けているはず。
好きなだけ残価設定型ローンで新しい車を乗り継いだらいいと思います。


年末の苦しみ。

2017年もあとわずか。

おかげさまで心おだやかな年末を過ごしています。


毎年、12月末のこの時期は憂鬱で仕方のない日々を送っていました。

ぎゃーって、叫び出したいくらい、嫌な年の暮れ。が、毎年。


なぜなら、元旦にはなぞの宗教施設にお参りせねばならぬのです。

入籍してすぐ衝撃を受けた、例の巨大施設です。

朝9時から、昼過ぎまでひたすらなぞのお話(御説法?法話?のような、しかしとりとめのないお話。しかも録音)を聞かされる元旦。

間に歌をはさんだり(当然その宗教のオリジナルソング)、全国各地の支部からのご挨拶、祝電披露などなどがありますが、信者でないわたしにはありがたくもなんともない苦痛の時間。

好意的に受け止めてみようといろいろ気持ちの持ち方を変えてみましたが、うん、無理。

離婚して二度目のお正月が来ようとしていますが、いまだに夢に見るほどのトラウマです。


ちなみに、午前中にお参り(と、彼は言っていました)が終わると、彼のご実家で親族が集まって食事です。

なぞのお題目になぞの音楽で疲れ果てた午後‥もう帰りたい。


でも、義理のご実家で何日も、一生懸命頑張らねばならないお正月を過ごすお嫁さんもいる中、わたしはたった1日です。

たった1日を耐えるだけでいいのに‥。

そう思って頑張ってきましたが、その1日すら耐え難くなりました。


がんばらなくちゃいけない、と思いながら過ごしていましたが、手放してしまった今では、一体何にしがみついていたのか、なにをがんばっていたのか、まったくもってわけがわからない。

ひとつわかるのは、そのがんばりはわたしにとって必要ではなかった、ということ。


おだやかな、年末年始がやってきます。

お酒は好きですか?

わたしはお酒が好きです。

強くはありませんが、毎日少しは飲みたいタイプです。

今は一人暮らしなので、好きなお酒を好きなときに買って好きなだけ飲んでいます。


実家の両親は酒好きで、子供の頃からお酒がない食卓は見たことがないくらい、いつも飲んでいました。


ビールはケースで買っていたし、日本酒の一升瓶もなかったことはありません。


一方、彼の実家はあまり飲まないお家。兄弟は飲める方ばかりでしたが、ご両親はあまり飲まないタイプ。

特に、女が酒を飲むなんて、という感じのお父様でした。


もちろんわたしは、お酒が好きなんて一言も発しませんでした。当然向こうのお家でお酒をご馳走になるなんてもってのほか。

結婚してから7年間、彼の実家では一口もお酒を口にしませんでした。


が、当然家では飲みます。

発泡酒を買って来て冷蔵庫にキープ。

晩酌の習慣のなかった彼も、なぜかわたしが飲むと必ず飲みます。


今冷静に思えば、なんでもわたしの真似をする彼でした。

わたしが風邪っぽいなーと言えば、俺も!俺も!

わたしがビール飲みたいな〜と言えば、俺も!俺も!

肩が凝るんだよね、と言えば、俺も!俺も!



そんなところが、嫌いじゃなかった。

わたしも、とても彼のことが好きだった。


晩酌の習慣がなかった彼は、わたしが晩酌をするので真似をして飲むようになったけど、トラックのドライバーになってからも晩酌をやめず、そういった自覚のなさ、プロ意識の低さがとても嫌でした。


わたしのせいでついてしまった晩酌の習慣、いまも続いているのだろうか。

少し、思い出してしまった今夜の晩酌は、蕎麦焼酎です。

寒いので、お湯割りで。


外食時の悲しみ

外食、通常は『美味しいものを食べにいく』楽しいものです。

大好きな人とならなおさら。

美味しいねといいながら、誰かと一緒に食べるご飯はとても良いものです。


モラハラ傾向のある(傾向なのか、モラハラそのものなのかはとりあえず置いておきます。)彼との外食は、もちろん楽しい時もありましたがだいたいが胃の痛くなる時間でした。


まず、目的のお店がいっぱいで、お客さんが並んでいる場合。

いきなり却下です。

『ここに行こうね』と言って行ったのに、行列を見た時点で彼は踵を返します。

そこからごはんジプシーがはじまります。

要領の悪い私は、プランBを考えておかないので、そこから助手席で必死に近隣のお店を探します。

私が検索をしている間も彼は運転をやめないので、検索で見つかったお店がすでに通り過ぎたところにあったり、運良くたどり着いてもまたそこが行列だったり‥

そうするうちに時間はどんどん過ぎ、お腹が空いている彼はみるみる機嫌が悪くなっていきます。

焦った私が選んだお店は、お値段が予算以上に高かったり、美味しくなかったり‥。


運良く目的のお店に入れた場合でも、浮かれた私がメニューに悩んでいると彼のイライラが増してきて‥。

店員さんが注文を取りに来ると、私の言葉を待たずに自分の注文を告げ、『それを2つ。』


たまたま目的のお店に入れて、私も迷わず注文ができて、お料理が来て‥

と一見順調な時でも、私がうっかり発した『それおいしそうだね、一口ちょうだい!』

彼はみるみる不機嫌になり、お皿をこちらに押しやると『やる。』

ありがとう〜と一口食べて返そうとすると『いらない、全部食え』


『ひとくちちょうだい』は、嫌いな人も多いと思います。

実際私も、大勢のグループで行った時にお皿がぐるぐる回り始めるのは嫌いです。

でも、大好きな人とふたりでご飯を食べている時に、『美味しそう!それひとくちちょうだい』って分け合うのは楽しいものではないのでしょうか。

大好きな人と美味しいものを食べていて、『これ美味しいよ!ひとくち食べてみて』って分け合いたくなるのは私だけでしょうか。


彼は私とは分け合いたくなかった、それだけでしょうね。


そういったことが積み重なるうちに、彼との外食は私にとってただただ辛いものになっていきました。

出かける時点で、『美味しくなくて彼の機嫌が悪くなったらどうしよう』『お店がいっぱいだったらどうしよう』


彼と別れて一年ちょっと、いまだにときどきこの光景を夢に見たり、ふと思い出して悲しい気持ちが蘇ったりすることがあります。

『結局その時自分はどうしたかったのか?』をいまだに考える日々です。

一番嫌だったこと

離婚して一年が過ぎました。

離婚記念日には缶ビールでひそかに一人乾杯。

おいしいおつまみと一緒に自由を喜びました。

 

ところで、離婚して一年もたつと、つらかった記憶もすこしづつ薄れてきます。

そんななか、いまだに思い出して心が痛むことがあります。

物を投げられたり、ライターの火を近づけられたことは確かにとても怖かったけど、こういう物理的な怖さって薄れてくるような気がします。

が、思い出すたびに心に ズキ っと痛みが走るのは、やはり心の傷なんでしょうかね。

 

 

大したことじゃないと思います。

『なんだ、そんなこと』って思う人もいるでしょう。

でも、私にとってのとても重たい思い出。

忘れられないし、思い出すたびに痛いのです。

 

 

 

 

『ごはんができたよ~』って言われたら。

ふつう、ごはんができたよ さあ一緒に食べよう という意味に理解してもらえるのではないかと思います。

 

彼は違いました。

 

『ごはんができたよ~』

 

『食べ~ね』(中国地方の方言です 意訳すると 食べなさいよ、とか 食べれば? です)

つまり、私としては ご飯が出来たので一緒に食べましょう という声掛けをしたつもりだったのですが、彼から帰ってきた返事は

 

勝手に食べれば?

 

 

です。

 

 

私の言葉が足りなかったのでしょうか。

『ご飯が出来ましたので、こちらへきて一緒に食事をとってください』と。

言えばよかったのでしょうか。

 

この『食べ~ね』は 何度も言われました。

 

私も、今となっては上記のように丁寧に(嫌味を込めて)言えばよかったと思いますが、当時はただただ悲しく、冷めていくご飯を見ながら彼がご飯を食べる気になるまで食卓で待っていました。

 

いまなら、ちゃんと『なんで?一緒に食べようよ』とか、『そう。じゃああなたの分は処分するね(怒)』とか返せそうな気がしますが、その時は私自身もおかしかったのでしょうね。

いまならそうやって対応策も考えられるのに、その時は考えられなかった。

たぶん、その時に誰かが、『どうして傷つくの?言い返せばいいのに。』とアドバイスしてくれても、その時には実行できないのです。

これが、モラハラによる支配下にある状態、なのでしょうかね…。

 

なにはともあれ、今は一生懸命作ったご飯をけなされたり、食べてもらえなかったりすることはもうないのです。

だからそんなことはもう忘れてもいいのにね。

 

 

かさぶたになっていることを忘れて、うっかり掻いてしまってまた血が出る。