今思えば面白い。
超スローペース更新のしろっぷです。
離婚から約10か月、別居してから一年が経過しました。
そろそろ面白かった話をあげておきたいと思います。
元旦那には、趣味がありませんでした。
私はそれが心配で、なにか楽しいことがあるといいが…と思っておりました。
あるとき、彼が『バイクを買いたい!』といいました。
無趣味の彼に、ツーリングという楽しみができる。
よかった、是非買うといい!!
なんていい嫁でしょうか。
これが、のちのちの色々な出来事を引き起こす伏線となります(笑) そう、かっこ わら です。
購入したバイクは、ヤマハSR、中古で38万円でした。
それなりに貯金をしておいたので、キャッシュで購入できました。
日頃、バイクとは縁のなかった私は、パーツをあれこれ取り替えるなんて知りませんでした。
バイクを購入した日から、彼のネットサーフィンが止まりません。
オークションで次々とほしいパーツを探してきます。
しかも、彼はネットにめちゃくちゃうとい…汗
オークションで見つけたパーツを、わたしに落札するよう言ってきます。
かくして、バイクは一台なのに、なぜかシートはふたつ、マフラーはふたつ、ミラーもいくつもある、ハンドルもなぜ4つある???なんに使うのかわからない小物も大量に…というおかしな状況に陥り始めました。
結果、中古で38万円で購入したバイクは、追加のパーツ代であっという間に100万オーバー。
しかも、突然仕事をやめてきたので、無職…
あら!時間はあるから乗りたい放題じゃないの!!!
しかし彼がバイクで出掛けることはそんなになかったのです。
なぜ(笑)
無職だから?いまだにわかりません。
はしょりますが、彼が無職になり、収入がわたしの少ない月収だけになり、アパートの家賃も苦しくなってきました。
彼は『バイク、売ろうか…』といいだします。
でも、当時まだ、彼を信じ、愛していたわたしは、それを止めます。
せっかく買ったのだから…と。
結局、ナンバーを返納し事実上廃車にし、保有のみするということになりました。
当時住んでいたアパートの家賃、六万円。
手取り月収約12万のわたしの給料では払っていけません。
幸い、県営住宅に応募するとすんなり当選、引っ越すことになりました。
しかし、バイクは置場所もなく、ナンバーを外したため、公道を走れません。
でも、手放すと彼の趣味がなくなってしまう。
最終手段です。
車で20分ほどの、わたしの実家は超がつくほどのド田舎。兼業農家のため、倉庫もあります。
そこに、預けることにしました。
いつか、彼の仕事が安定したら。
彼がまた、バイクに乗って出掛けることができる。
お気に入りの。
パーツも色々取り替えられる。
素敵なバイク…。
そんな日は来ませんでした。
結局、離婚から数ヶ月、わたしの実家で預かりっぱなしでした。
五月に離婚して、『バイク、どうするんだろうねぇ…』という両親の言葉に、しかたなくメールしたのが9月。
大雨の降る日に、彼はナンバーのないバイクを、義理の兄と一緒に取りに来ました。
あのバイク、どうしてるかな。
売り払ってたら、大笑いだよね。
わたしが一生懸命守ろうとしたあの人の唯一の趣味。
どうなってるのか、気になるー(笑)
お正月が来る度に思い出す
前記事『どうしてこうなった』で、お正月に起きた衝撃の出来事を書きました。
謎の『ご本部』正月参りは、はじめての年から毎年続きます。
結婚して数年は勤め先が年中無休だったのを幸いに、大晦日から元旦にかけて勤務希望を出し、ご本部参りを避けてきました。
でも、旦那は毎年元旦にはスーツを着込んでいそいそとご本部にお参りに行きます。
不思議なことに、新興宗教にしては珍しく縛りが緩く、正月参りだけはぜったいですが他の日に旦那がお参りなどに参加することはありませんでした。
家には謎の教本や季刊紙がありましたが、彼からも彼の家族からも、強く参加を要求されるようなことはありませんでした。
結婚後数年して、私は転職します。
朝が早く夜が遅く、拘束時間の長いホテル勤務から、土日休みの事務職に変わりました。
すると、土日に彼の実家から、手伝いの打診が来るようになりました。(この話はまた後日。)
と、同時に、12月31日の手伝いの要請が入り、当然元旦のお参りに参加せざるを得なくなったのです。
毎年、12月に入るとユウウツな気分になります。
31日が来る前に、地球が滅亡したらいい、とか、ご本部が火事になればいい、とかインフルエンザにかかれ!とかいろいろ小学生のような発想を抱いて過ごしてきました。
が、一度もその願いは叶わず。
この冬、はじめてその苦しみから解放されました。
そして、なぜかインフルエンザにかかりました。
31日に。
なぜ今年!
去年までに欲しかった!
ほらほら、この辺が面白いのです私(笑)
自分で言うなですね…
ほんとに思いましたよ、なぜ今年!!
というわけなので、今日はこの辺で。
おやすみなさい。インフルエンザ治します(笑)
間が空きますが…
最初の記事を書いてから、だいぶん日にちがたってしまいました。
面白かったことを書きたいのに、なかなか先に進みません。
客観的に振り返ればおもしろいんだけど、やっぱり実際は傷ついたり、辛かったり、いろんな思いをしていて、文章にするのってむずかしいなぁって思っています。
見に来てくださったかた、ありがとうございます。
ゆっくり書いていこうと思いますので、よかったらまた覗きに来てください。
どうしてこうなった!その2
結局、謎の宗教の集まりは朝10時に行った時点ではすでに始まっており、昼13時まで手を合わせたり拝んだり、お題目を唱えたり歌を歌ったりして延々続きました。
終わる頃にはショックで血の気が引いていました。
『ごめん、ちょっと貧血かも…』宗教のことには触れず、彼に訴えました。
彼のご両親や兄弟、親戚など一族が揃っていましたが、ご挨拶もそこそこにご無礼させていただきました。
帰りの車中、青ざめて口も開かない(開けません)わたしに、彼はむしろ高めのテンションでいいました。
『ねえねえ!びっくりした?』
しかも、なんか楽しそう。
まるで、参観日に来た母親に感想を聞く子供のような口ぶりです。
もちろん、びっくりしました。
しかしなぜかそのときのわたしは、この嫌な気持ちを誰にも知られてはいけない、と思ったのです。
『びっくり、してないよ。急に具合悪くなってごめんね』
そうです、典型的なダメなパターンです。
どうしてこうなった!
結婚式一週間前の衝撃!
http://misumisumusu.hatenablog.com/entry/2016/10/08/152758
からの続きです。
連れてこられた謎の巨大建造物、それはあとで聞いたところによると、見たことも聞いたこともない新興宗教の、『ご本部』と呼ばれる主要な建物でした。
正月は、全国各地からこの『ご本部』に信者が集まるのだとか。
建物は巨大ですが、とても静かです。
夏休みの学校のような、誰もいない、静かな建物…。ただ、駐車場にはおびただしい数の車がぎっちりと詰め込まれています。
広島、熊本、新潟、大阪、奈良、姫路、福岡、栃木…。
こんなに車があるのに、広大な敷地には人一人いないのです。
言い知れぬ気味の悪さに、思わずぎゅっと両手を握りしめます。
彼は、慣れた様子ですたすたと進んでいきます。
外門の所で、立ち止まって一礼する彼にならい、私も無人の空間に一礼をします。
中庭の入り口でも一礼…
建物の軒下に、やっと一人の人が見えました。
腕章をしていて、どうやら係りの人みたい。
腕章をした男は、私たちの姿を見ると一礼し、建物の入り口を示します。
彼はわかっている様子で、腕章男に一礼し、すたすたと建物に入っていきます。
その後ろをついていった私の目に飛び込んできたのは、広い広い体育館のような空間に、ぎっちりと詰め込まれた人人人人人…!!
ざっと500人はいたでしょうか、多くの老若男女が両手をあわせ、なにかを唱えていました。
入り口付近にある小学校の下駄箱を彷彿とさせる長くならんだ靴箱には、おびただしい数の靴靴靴…。
隅のほうに敷かれた畳の上で、まだ自分で歩くことのできない幼子と母親が楽な格好で、しかし何事かを熱心に唱えているのです。
血の気がすーっと引くのを感じました。
こんなの、聞いてない。
いったい、なんなの。
私はなぜここにいるの?
どうしてこうなった!
はじめまして
最近離婚しました。
40代女、しろっぷと申します。
面白い離婚なんてないと思いますが、振り返ってみるとあまり経験できないような日々だったなあと思うのです。
どこで間違えたのかなあと思う事もありますが、ここでちょっと冷静に客観的に振り返ってみたくて、文章にしてみることにしました。
私の結婚生活は7年。
『モラルハラスメント ってご存知ですか?』
結婚している間、なんどかいろいろな方からこの言葉を聞きました。
調べていくうちに、『うちはちがう』『彼はそうじゃない』と思って過ごしていましたが、今思えばそう思おうとしていたんではないかと思います。
今、もし うちはそうかもしれない と思う方がいて、私の経験が参考になればいいなと思います。
今でも、『あれをモラルハラスメントというなら、うちのモラルハラスメントはかなり軽い方だったに違いない』という思いはあります。
定義があいまいなモラルハラスメントですが、本人がつらい、いやだと思ったらたぶんそうなのです。
内容が内容だけに、このブログを読んで不快な思いになってしまう方がいらっしゃるかもしれません。
なので出来るだけ、軽やかに面白く、書きつらねてみたいと思います。
ここで簡単に、結婚から離婚までを・・・。
同い年の彼とは、職場で出会いました。
職場は田舎のホテル。宿泊と宴会、結婚式なんかも請け負う個人経営の小さなホテルです。
彼は料理人。
私はフロント兼宴会係。電話も受けるし料理サービスもする。なんでも係です。
出会って、お付き合いは7年。
30歳を超えてから、やっと結婚することになりました。
私は別のホテルに転職し、彼はそのままその職場に。
共働きで結婚生活はスタートしました。子供はいません。
結婚から4年め、彼が突然仕事を辞めました。
それからはアルバイトをしたりしなかったり。
そして、7年間の結婚生活ののち、8年目を迎えることなくさよならしました。
この間に起きたことを、少しずつ、思い出しながら記録していきたいと思います。
結婚式1週間前の衝撃
私の結婚生活は、結婚式の2か月前から始まっています。
結婚式の2か月前、彼の誕生日に入籍し一緒に暮らし始めました。
入籍の日から、彼は仕事が忙しく、帰りはいつも日付の変わる直前または泊まり込みで帰らない日も多くありました。
両親と祖父母、兄弟と一緒に暮らしていた私は、『ふたり暮らしって、こんなにさみしいものなのか・・・』としょんぼり暮らし始めました。
夕食を作っても、食べてもらえないことも多く、結局その日食事がいるのかいらないのかわからない毎日。
かと思えば、私が仕事を終えて帰ると、ソファで疲れ切った彼がぐうぐう寝ていることも!!
2DKのアパートでは彼を起こさないように料理をするのは無理。
当然眠りから覚めた彼はおなかがすいて不機嫌です。
なんとか彼に喜んでもらいたい、疲れを癒したいと、必死に結婚式の日までいろいろ無駄な そう無駄な努力を日々積み重ねておりました。
結婚式をされた方はご存知かと思いますが、結婚式前っていろいろやることが山積みです。
各種一覧表の作成、衣装決め、引き出物決め、お料理のランク決め、出席者の確認…。親族だけの披露宴でしたが、それなりにやることはたくさんあって私は仕事の合間にそれらを片付けておりました。
私は結婚式を行うホテルに勤めていて、結婚式の担当も何度か経験しているのでこのことについては楽でした。
ただ、当然彼はほぼノータッチ。
自分の衣装決めだけは何度も衣装店に足を運び、最終的にカタログで取り寄せてもらうというこだわりを見せましたが…。
そして結婚式の一週間前。
衝撃の出来事が起きたのです。
私たちの結婚式は、彼の職場であるホテルの仕事が落ち着く正月明け。
結婚式一週間前はお正月です。
すでに入籍は済ませていますから、まず彼の実家に、嫁として初めてのお正月訪問…。
正装して…と思ったら、彼からとにかく地味なスーツを着るように言われました。
ま、嫁だし。
初お正月だし。
控えめにということ・・・・???
彼が運転する車で、彼の実家の近くまで・・・そして車は、実家ではない場所へ!
つれてこられたそこは、新興宗教の大きな建造物でありました!!!!