金借りてくれ
アルバイト
私の職業は事務員です。
結婚した当初はホテルで働いていましたが、時間が不規則なため事務職に転職し、その後ずっと同じ職場に勤めています。
旦那が無職の間、どうしても生活費その他諸々が足りず、本業の合間に昔のツテを頼ってアルバイトをしていました。
結婚式の配膳のアルバイトです。
休日に出られるし、もともとホテル勤めの私にはうってつけのアルバイト。
働かない旦那の分とまでは行きませんが、生活費の足しにはなります。
そしてこのアルバイト、旦那と別れてからも、なんやかんやで続けています。
つい先日も、本業のあとそのままアルバイトに。
幸せそうな新郎新婦の姿に、ジーンと来るものがあります。
本当に幸せそうな二人。
私の結婚式は、『お願い、ちょっと、待ってください』が言えず、私が我慢すればいい、今日は笑顔でいなければいけない、と苦しい1日でした。
うっかり引いた風邪もピークで咳き込むと止まらず、介添えさんに濡れマスクを持っていてもらいました。
思い出すのも辛い、無理やり笑顔の疲れた1日でした。
こうして、アルバイトに入って新郎新婦に思うのです。
今日のこの、ふたりの思いがずっと続きますように。
このふたりが、ずっと幸せでいられますように。
お互いのことを、ずっと大切に思って。
その、優しい目線をずっと忘れないで。
その、心からの笑顔が曇ることがありませんように。
そして、今日のその笑顔が、無理して作っているものでありませんように。
そんなことを思いながら、目頭が熱くなるのをぐっとこらえて、二人がチョイスした美味しいお料理を出席された皆様に届けています。
突然思い出す断片的なこと。
彼が機嫌が悪そうな時。
あ〜 どうしたんだろう〜
機嫌が悪いのかな〜
わたしなんかしたかな〜
こわいな〜こわいな〜
と、稲川淳二さんのように心の中で言葉を繰り返しながら、彼をちらりちらりと見ていたら。
『なにチラチラ見てんだよクソが!』と言われましたね〜。
ふと、思い出しました。
相当機嫌が悪かったんでしょうね。
そしてたぶん、そんなこと言っていない! と言うでしょう。
いいえ言いました。
やった方は忘れてしまうけど、やられた方は覚えてる。
有名なシェフのレッスン
彼は料理人でした。
無職ですが料理人です。
いつかお店を出したい料理人です。
いつかお店を出したい彼の夢を、私は応援していました。
何か情報になりそうなものがあったら、すぐ彼に伝えていました。
ある時、近くで世界的に有名なシェフのレッスンが開催されることを知りました。
とあるイベントにそのシェフがやってきて、数時間ですが一般の参加者を対象にレッスンをしてくれるのです。
地方都市では、こんな機会はめったにありません。
そのイベントは車ですぐの場所で開催されます。
料理に携わる人なら、誰もが名前を知っているであろう有名なシェフです。
そのレッスンは当然抽選となります。
私は往復はがきを何枚も買ってきて、応募しました。
私が行くためではありません。
もちろん彼に行ってもらうためです。
一般の人向けのレッスンですが、彼はいま無職。
一応プロですが、休職中ということで許してもらえるでしょう。
なにより、そんなすごいシェフのお仕事をきっと間近で見たいはず。
しかも仕事をしていたら、そんなイベントに参加する時間は取れなかったでしょう。
幸いにも(?)今は無職。
時間は自由です。
どうか当選しますように。
願いを込めてはがきを送りました。
彼にその話をしました。
目を輝かせて『行きたい!!』と言うだろうと、わくわくしながら話しました。
が、
ふーん
とか
ああ
とか
気の無い返事ばかり。
聞いてないのか、当選してもいないのに興奮することはないと思っているのか…。
とにかく、結果を待つことにしました。
そして、しばらく経ったある日。
はがきが届きました!!
たくさん送りましたが、彼の名前で出したはがきが見事当選!!
一枚だけ、そのレッスンのチケットを手に入れることができました。
今度こそ、大喜びするに違いない!
そして、やや興奮気味に彼に当選を伝えました。
帰ってきた言葉は
『行かね』
ん??
行かない。
当選したのに?
どうしてと聞いても、答えは帰ってきません。
挙げ句の果てには、『お前行け』
彼なりのプライドとか意地とか、あったんでしょうね…。
もちろんそれがわからないわけではありません。
でも、仮にもお店を出したくてお仕事をしていないのだから、こういう機会はチャンスだと捉えるものじゃないのかな…。
私の発想がおかしいのかな。
結局、どうしても行かないというので、主催会社に当選辞退の連絡をしました。
電話に出た女性は『ええっ?!辞退?都合が悪くなりましたか?残念ですねぇ…もう少し待ってもいいんですよ?すごくもったいないですよ〜!』と熱心に言ってくださり、こちらが申し訳なくなるほどでした。
先回りしすぎて、失敗するタイプの私?
でもどうして彼は行かなかったのか、行きたくなかったのか。
いまだにわからないし、もう知るすべはありません。
東京に雪が降ると思い出すこと。
関東はすさまじい大雪だそうですね。
交通が麻痺したり、滑って転んで怪我をされる方があったり、普段通りにはいかないのが大雪の日ですね。
私の住んでいる地域はもっとずっと西の方なので、今回の大雪はテレビで観ているだけです。大きな被害が出ませんようにお祈り申し上げます。
東京に雪が降ると思い出すことがあります。
まだ、彼と暮らしていた時のことです。
その年のお正月、彼は無職でした。
いつか(予定はない)お店を出すために、内装やメニューを考えるため、ネットサーフィンが忙しい日々です。合間にカレーを作ったり、洗濯物をたたんでくれたりはします。
そんな一月。
彼は突然『東京に行く』といいだします。
ネットサーフィン中に見つけたいい感じのお店が、研修に来る人を募集している。そのお店の店長さんが、研修者の開店までアドバイス、フォローをしてくれるのだと。
ツッコミどころ満載です。
今にも申し込みの電話をかけそうな勢いの彼を必死で押しとどめ、わたしはない頭をフル回転です。
これはどうしたらいいのか。
そもそもその研修&コンサル契約は、50万近くします。
彼は無職です。
お店を出す計画はありません。
東京への往復旅費は夜行バスを使って約2万円、宿泊はカプセルホテルを使って1日約5千円。滞在中の食費もいります。研修は1週間。
お金のことを考えただけでクラクラします。
もうわたしではどうしようもない。
勢いづいている彼を止められない。
人の力を借りることにしました。
彼には実際にお店を経営している兄がいます。
お義兄さんなら、止めてくれるかもしれない。そんな期待を抱いて、『お義兄さんに相談に行こう!』とわたしは言いました。
彼は研修に行く気満々なので、わたしの思惑とは裏腹に、お義兄さんに決意表明に行く感じでした。
そして、忙しいお義兄さんにアポイントを取って相談に行くと…
『やっとやる気になったのか〜(喜)』
優しいお義兄さんは、彼がやる気をなくして無職になっていると思っていたようです。
わたしの目論見は見事に外れました。
そして、状況を察知したわたしはなぜかこう言いました。
『まず二人で東京のお店を見に行きたいと思います』
結局わたしの外面の良さに自分自身が喰われるという、今思い出してもどうかしている発言です。
そしてわたしは12時間の夜行バスに乗って東京に行く羽目になったのです。その話はまた後日。
東京でそのお店に伺い、店長のお話を聞いて、わたしは彼の研修を了承しました。
もちろん、きちんとしたお店で、コンサル業も本気でされている方でした。
そして寒い寒い2月。
彼はひとりで東京での研修に向かいました。
1週間の修行です。
わたしは胃腸を壊し、その前後全く食事が取れず、汚い話ですが真っ白な便が毎日出ていました(汗)
その時、東京に大寒波が訪れ、軽装で東京に向かった彼は地元でも遭遇したことのないような雪に見舞われたのでした。
長くなりましたが、『東京で大雪』のニュースを聞くだけで、このことを思い出すのです。
ちなみに、研修費用の三分の一は出店時にコンサルに来てくださる際の費用とのことでした。
出店しなかったんだから、返してもらえるんじゃないかと思うのですが、さすがに言い出せないのです。
非課税の人。
年末の苦しみ。
2017年もあとわずか。
おかげさまで心おだやかな年末を過ごしています。
毎年、12月末のこの時期は憂鬱で仕方のない日々を送っていました。
ぎゃーって、叫び出したいくらい、嫌な年の暮れ。が、毎年。
なぜなら、元旦にはなぞの宗教施設にお参りせねばならぬのです。
入籍してすぐ衝撃を受けた、例の巨大施設です。
朝9時から、昼過ぎまでひたすらなぞのお話(御説法?法話?のような、しかしとりとめのないお話。しかも録音)を聞かされる元旦。
間に歌をはさんだり(当然その宗教のオリジナルソング)、全国各地の支部からのご挨拶、祝電披露などなどがありますが、信者でないわたしにはありがたくもなんともない苦痛の時間。
好意的に受け止めてみようといろいろ気持ちの持ち方を変えてみましたが、うん、無理。
離婚して二度目のお正月が来ようとしていますが、いまだに夢に見るほどのトラウマです。
ちなみに、午前中にお参り(と、彼は言っていました)が終わると、彼のご実家で親族が集まって食事です。
なぞのお題目になぞの音楽で疲れ果てた午後‥もう帰りたい。
でも、義理のご実家で何日も、一生懸命頑張らねばならないお正月を過ごすお嫁さんもいる中、わたしはたった1日です。
たった1日を耐えるだけでいいのに‥。
そう思って頑張ってきましたが、その1日すら耐え難くなりました。
がんばらなくちゃいけない、と思いながら過ごしていましたが、手放してしまった今では、一体何にしがみついていたのか、なにをがんばっていたのか、まったくもってわけがわからない。
ひとつわかるのは、そのがんばりはわたしにとって必要ではなかった、ということ。
おだやかな、年末年始がやってきます。